俺が高校1年だった2月のある日。父方の婆さんが死んだ。
深夜の電話と早朝の電話には良い事が無い。
この日もまたその例外には漏れなかった。
突如夜中に鳴り響く電話。婆さんが危篤との知らせ。
次の日朝一番で田舎へ発たねばならない。銀行が開いてるわけも無いので自転車で30分ほどの従兄弟の家に少しお金を借りに走る俺。
帰りに夜空を見上げつつ『俺がそこに行くまで逝ってくれるなよ、婆さん』と思ったものだ。
結局、婆さんは危篤状態から2週間後に息を引き取った。
あと2日3日と言われてたのに2週間も持たせたのは、流石婆さんだ。

今年の5月の一番最後。早朝に電話が鳴り響いた。
この電話も例外に漏れず、良くない知らせだった。
父方の爺さんが危篤との知らせ。
実は既に以前から『危ない』『持って数年じゃないだろうか』『入院した』との話しは聞いていた。
2ヶ月前には『今年一杯じゃなかろうか』とも聞いていた。
恐らく、俺親戚で一番爺さんに可愛がられてたと思う。
ウチの親戚で一番上の男子供は俺だったからと言う事もあるだろう。
『爺さんからの1000円は2万円だと思え』といわれてたが、去年の夏にひょんと1万円を貰っていた。
その爺さんだ。今更変わり果てた姿は見たくなかった。
本来は親父の実家を空けない様に留守番だけをするつもりだったが、人手が足りないので見舞もする事に。
内心、変わり果てた爺さんを見たくなかった。が、今思うと(息を引き取る前日まではいたのだが)ギリギリまで看取れて良かったと思う。
そして6月、爺さんもまた息を引き取った。
爺さんも持ち堪えた方なのだが、逝くときはあっさりと逝った。
そして、俺は初めて爺さんの形見を貰った。
最後の最後まで使った財布と入院中に労災(昔、炭鉱で働いていた時に肺病を患っていた)で降りていたいくらかのお金を。
『最後まで爺さんが愛用していた財布だ。形見として使って欲しい』と言われたが、恐れ多くて使う事が出来ない。
今では大事に保管してある。
 
 
で結局、何が言いたかったかっつーと
ウチら喪中になるのよね(死
年賀状駄目だわ初詣出来ない(正確には『神社に入れない』)わでもー。。
あ、でも無視or知らないフリして年賀状送ってくれても大歓迎です。だって寂しいじゃんかウワァァァァァン。。。

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